北見市

大和

留辺蘂の市街地に入る手前に、「身代わり地蔵尊」を安置する赤い屋根のお堂があります。お地蔵さんは舟形光背を持つ浮彫り座像で、合掌する左手首に数珠をかけたお姿です。台石に交通事故犠牲者19名のお名前が刻まれていて、遠くは福岡や東京の方もおられました。

地蔵尊の右脇に掲げられていた掲示板です。

 

「車社会の発展とともに、石北峠に通ずるこの沿道は、通行車両が増加し、そのひずみとしての交通事故が多く発生し、無念の涙とともに尊い生命を失う人が続きました。

昭和四十五年地域住民が相計り、悲しみにむせぶ霊を慰め悲惨な事故をなくそうと篤志ご寄付により地蔵尊を安置身代わり地蔵と名づけ、入魂除幕を行い爾来絶やすことなく年忌祈願祭も続けております。

その後、そのあらたかな霊験加護により交通事故が減り、また事故があっても不思議と命をとりとめることが多いのです。交通事故は人災です。どうか歩く人も車を運転する人も人命尊重を第一に交通ルールを守り安全通行に徹して下さい。この地域沿道から交通事故が根絶されることを祈願します。

合掌 留辺蘂町交通安全協会温根湯支部」

 

「交通事故は人災です」という、ことばが特に心に残りました。

 

右側の写真を見てください。地蔵尊の前では、車はみな速度を抑えて走っています。そうです。すぐ前は、オービス……。

大和↑

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昭栄↓

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昭栄

昭栄神社の鳥居の脇に、「交通安全身代地蔵尊」の標柱とお堂。

まつられていた仏さまは交通安全地蔵尊で唯一の木彫像、衣のひだがよく目立つ彫りです。お地蔵さんは赤い頭巾をかぶって、赤いよだれかけをつけ、宝珠を両手でささえ持っていました。お顔が大きく面長で、「ゴジラ」のニックネームを持つ松井秀喜さんにそっくりです。いかがでしょうか?

旭西

留辺蘂町旭西で、青い屋根のお堂にまつられた、合掌する丸彫りのお地蔵さんをお参りしました。

西相内

国道39号の法面の下に造成した平地に、高野山と記されたお堂と馬頭観音碑が並び、その左端にお地蔵さんをまつるお堂がありました。

尊像は赤い頭巾とよだれかけをつけ、さらに緑色の毛糸で編んだマントをまとっています。錫杖と宝珠を持つ手には赤い手甲。台石に「交通安全地蔵尊」「昭和五十六年建立」と刻まれていました。

西相内↑

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忠志↓

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忠志

端野で国道39号から道道308号日吉端野線を5kmほどすすむと、道の脇の林のなかにお地蔵さん。

丸彫りの合掌像で、赤いキルティングでつくった帽子とマントをつけています。昭和39年、集材車が川に転落して、運転者が死亡。故人が務めていた会社が、慰霊のためにこの地蔵尊を建立しました(『端野町の石碑』)。

端野町二区

国道39号と道道308号の交差点近くで、お堂を見つけました。まつられていた地蔵尊は合掌姿の浮彫り像、手の甲が厚い特徴のある彫りです。昭和44年の造立。

端野町二区↑

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端野町一区↓

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端野町一区

常呂大橋の近くに国道と平行する坂があり、その途中に二体の地蔵尊がまつられています。

右側は昭和57年建立の「交通安全地蔵尊」。黄色い学童帽子をかぶり、半透明のカッパを着て、首に白い毛糸のマフラーを巻いています。学童帽をかぶったお地蔵さんは本尊だけ。

左側は「子育地蔵尊」。和服を着て毛糸の帽子をかぶり、首にマフラーを巻いています。四代目三遊亭金馬師匠の創作落語『子なさせ地蔵』のモデルです。明治30年に入植した産婆・舛川ツネさんの功績をたたえて建立した「子生佐世(こなさせ)地蔵」は、桝川さんの親族に引き取られましたが、その後、地域住民が新たにこの「子育地蔵尊」建立しました。「子生佐世」とは、子供が生まれるのを助けるという意味です。

道祖神

国道39号の緋牛内から道道104号網走端野線を1kmほどすすむと、左側に「鎖塚道祖神」がまつられています。平成七年の建立で、碑板に次の説明が刻まれていました。

 

「北海道道祖神建立の趣旨―端野町が文化財に指定した鎖塚地域の同士は北海道縦貫軍用道路開削の為各地で弊履の如く扱われたが彼らは由緒ある憂国の志士であり、最悪の悲劇300名とも言われる犠牲者を葬たが、この北見道路は北網圏の文化と繁栄をもたらした。

この大恩と功績は永久不滅であり身命を犠牲にしての尊い偉業を顕彰し後世に伝えるに当り100回忌も終えてをり此際神号を尊称し北海道道祖神を建立し道路の神様旅行者の守護神として信仰し平和な社会を創造することを祈願する所存であります」

 

北見道路とは、旭川から網走の間の225kmです。旭川から上川の工事は明治23年度に終わりましたが、残り170kmを明治24年度いっぱいに完成させなければなりませんでした。そこで囚人に突貫工事を強いたため、多くの犠牲者が出ました。この犠牲者供養のため、次の「鎖塚供養碑」が建立されています。

鎖塚

緋牛内から道道104号をさらに数百m進み、左側の坂道を上ると「鎖塚供養碑」。

碑文は次のように語っていました。

 

「明治二十四年北海道長官永山武四郎氏は網走と旭川を結ぶ国道開設の急を感じ網走空知両監獄の囚人凡そ千人を動員し 五月上北両端より着工十二月完成の突貫工事をした 此の道路が北見の開発に貢献した事は言うまでもないが工事の際死亡し路傍に埋められた墓標なき囚人は三百に余るとも云う 此の三基も亦彼らを縛った鎖だけがその上に残されてあり是を鎖塚と呼ぶようになった 此処に供養碑を建て尊くも哀れな御霊を永く弔う」

 

石碑の右隣に「鎖塚観音像地蔵尊」がまつられています。中央に観音さん一体、左右にお地蔵さん三体、合計七体。一体ずつ写真を撮らせていただき、合掌。

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緋牛内交通安全碑

道道104号に戻って2kmほどすすむと、「交通安全」と刻んだ、高さ2.7mの碑。

由来と弔句が刻まれていました。

 

建立の由来  

昭和六十二年三月二十五日七時三十分、この地において交通事故のため不慮の死を遂げた一子故◯◯(当時二十一歳)の霊を悼み、併せて交通事故防止の祈りをこめて故人の網走高等学校時代の恩師◯◯(俳号祐峰)、◯◯(俳号波響)両先生の弔句を刻み、◯◯先生の揮毫を得て、ここに建立するものである。

              弔句

沖へぬけ もどらぬ春の 嵐かな  裕峰(壷同人)

教え子と 別るる朝の 雪の果   波響(壷同人)

合掌

昭和六十二年六月 父の日 父◯◯ 母◯◯

揮毫◯◯