増毛町・苫前町・羽幌町

増毛

箸別地区にある濃朱色のお堂に、やや四角いお顔の「延命地蔵尊」が安置されています。

お堂脇に次の説明がありました。

「南無延命地蔵尊建立の起因 此の地蔵尊の建立は、昭和三年八月と期されて居り、国鉄留萠線(増毛線)の線路敷設工事が行われておりましたが箸別中歌間の堀り割り工事には当時タコ部屋と呼ばれた労働者が工事に就労、過酷な労働により数人の尊い生命が犠牲となりました。これらの犠牲を悼み、人命の尊さと此の地域のかたがたの無事、そして無病息災を地蔵尊に託して建立されたと言い伝えられております。地蔵尊には、高い場所から地域のかたがたの無事と安全を守り、更には海上安全及び交通安全も併せてお願いし、未来永劫までも守って戴きますようお祈りしております。平成七年」(「期され」は、「記され」のようですが?)。

お地蔵さんは右手に錫杖を持つ丸彫り像。左手の持物は確認できませんでした。というのは、尊像は着物を着ていて、その前には写真にあるように大型の燭台が置かれていたからです。

隣のお堂には馬頭観音さんがまつられていました。

Google マップは現在の Cookie 設定では表示されません。「コンテンツを見る」を選択し、Google マップの Cookie 設定に同意すると閲覧できます。詳細は Google マップの[プライバシーポリシー]をご確認ください。Cookie の利用は、[Cookie 設定]からいつでも変更できます。

苫前

国道232号沿いの三豊地区にたつ、朱色に塗られたトタン屋根のお堂。その柱には昭和49年建立と記され、右手に錫杖左手に宝珠を持つ、やさしいお顔の地蔵尊がまつられていました。

お堂内にはお菓子やぬいぐるみなどがたくさん供えられていて、壁に女児の名札がついたかわいらしい衣類が20着ほどかかっています。女の子のすこやかな成長を願う風習なのでしょうか。『北海道の石仏巡拝(中巻)』(小松宏光著)は、「たすけあい地蔵」と称していました。

Google マップは現在の Cookie 設定では表示されません。「コンテンツを見る」を選択し、Google マップの Cookie 設定に同意すると閲覧できます。詳細は Google マップの[プライバシーポリシー]をご確認ください。Cookie の利用は、[Cookie 設定]からいつでも変更できます。

羽幌

天売・焼尻・利尻の島々が一望できる国道232号の汐見地区に、高さ10mを超えるオロロン鳥(標準和名はウミガラス)の大モニュメントがあり、そのとなりに宝形造りのお堂があります。

 

「交通安全」の四文字がある掲示板の裏に、次の説明がありました。

「汐見地蔵尊の由来 汐見地蔵堂にまつられている「延命地蔵尊像」は蝦夷地の開拓や漁場が開発され帆前船(ほまえせん)が盛んに往来した明治の中期に本州から渡って来たもので海上交通の安全と乗組員の無事を祈願する為、帆前船にまつられていた。この地蔵尊をニカルスナイ(汐見)の住民が譲り受け長生きを祈願する地蔵尊としてお堂を建て安置した。地蔵菩薩は石像が多いがこの地蔵尊は木彫像であり、作者は「沙門文嶺」と銘が彫りこまれている。汐見地区の人達の地蔵尊に対する信仰は厚く老朽化の著しい地蔵堂と併せて地蔵尊の修復を行い交通安全・海上安全・商売繁盛の守護尊とし、平成四年この地に建立した」

安置されていたお地蔵さんは、彩色された艶やかな木彫像。細身で面長で、丈は50cmほど、右手に錫杖左手に宝珠を持っています。仏前の御錀(おりん)に「通行ドライバーの安全祈願」と刻まれていました。

大嵐の直後に再訪したところお堂の屋根の頂端部がなく、天井の一部が落下して内部も散乱していまが、お地蔵さんは無傷。

Google マップは現在の Cookie 設定では表示されません。「コンテンツを見る」を選択し、Google マップの Cookie 設定に同意すると閲覧できます。詳細は Google マップの[プライバシーポリシー]をご確認ください。Cookie の利用は、[Cookie 設定]からいつでも変更できます。