根室本線の踏切(南四線踏切)近くに、赤い屋根の2室を持つお堂があります。
左側は空室(入居者募集中?)。右側には高さ40cmほどで、合掌姿の丸彫り座像が安置されていました。小さな口元がわずかにほほ笑んでいるように見えるお地蔵さんです。
「子育て地蔵の由来 明治二十九年十月池田農場開拓団の一員として入植した越前の人常丸初吉氏が、偶々急坂な道路で踏切事故等により尊い人命の喪わるるをみて、発心するとともに、自らも子宝に恵まれぬ不運を信仰によって、済度戴かんものと、大正三年伊勢の国津市を本山におく、延命地蔵尊十体をこの地に移して、その一体を南六線踏切り坂の下に安置毎年八月二十四日を地蔵盆として祭祀を執り行ってきた。この地蔵尊は、別名子育て地蔵とも呼び地域の人々の信仰をめて、諸種の祭行事が、行われている。因みに機関区の地蔵さんとも呼ばれ親しまれてきた」
道道236号勇足池田線沿いにある八幡神社の鳥居の近くに、大木を輪切りにして赤いトタン屋根をかぶせたお堂。
安置されていたお地蔵さんは、合掌姿の丸彫り座像で、赤い毛糸で編んだ帽子とよだれかけをつけています。南四線踏切のお地蔵さんと同じ彫りで、口元がわずかにほほ笑んでいました。
レストラン「豆地蔵」の裏手に、「豆」どころか丈2mほどの大きなお地蔵さんが三体、庭を囲んでおたちです。
宝珠を両手でささえ持つ像、錫杖を両手で持つ像、おはぎが載ったお皿を両手で持つ像、の三体。その前にはいつも、おいしそうな「十勝おはぎ」が供えられていました。
残念ながら「豆地蔵」は平成24年に閉店。お地蔵さんはどうしているでしょうか。
浦幌神社の南隣にある「浦幌新四国八十八カ所霊場」の入り口。お大師さんと交通観音さんが安置されています。
昭和53年、国道38号の浦幌バイパスを契機に建立されました。
道道56号本別浦幌線を約20km北上すると、「観音覆道」の手前の山側に、馬頭観音菩薩をまつるお堂があります。
お堂の前にたつ掲示板には、おおよそ次の旨が記されていました。
旧道は幅が狭い急な峠道で、馬が転げ落ちる事故が多発していた。このため道路の開削工事が行われたが、その際タコと称された土工夫に犠牲者が出た。そこで、近くに住んでいた一人暮らしの老人・堀 久太郎は慰霊と馬の供養のために、馬頭さんを刻んで峠の頂上にまつった。大正7年頃のこと。この像は、峠を突き抜けるトンネルができた昭和49年に現在地に移された。
掲示板の末尾に「今日尚をご守護として限りない交通安全と社会の平和を祈り続け給うものであります」とありました。
本別役場前にたつ「いつくしみの像」。交通事故死ゼロ1,000日を達成し、交通事故ゼロを祈願して、昭和52年に建立されました。
幕別の国道39号で、交通安全を願う「かかし」。
幕別は昭和五十八年に、パークゴルフを誕生させたまちです。
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