釧路市・標茶町・浜中町

釧路/音別①

国道38号「オロナミンC」の大きな看板がたつ工場から、1kmほど釧路よりのところです。国道浜側の下に、舟形光背を負った合掌姿の浮彫り地蔵尊がまつられています。

昭和43年、14歳の少年が、たまたま便乗したトラックの助手席から転落して死亡。お父さんが昭和55年、子息の慰霊と交通安全を祈願してこのお地蔵さんを建立しました(『音別町史』)。

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釧路/音別②

音別町①の地点から100mほどすすんだところで、5名が死亡する事故が発生。

 

写真右側の「慰霊の碑」は、次のように語っています。

「記 昭和五十五年九月二十九日此地において 千歳空港より釧路に向かう北交ハイヤー(運転手◯◯氏三十二才)に同乗せる三名は無謀運転常習の一大学生の乗用車に激突され 運転手ともども一瞬にして尊い命を落としたものである 遺族として悲しみと無念と 暴走に対する怒りの念を禁じ難く 同時に個人の冥福を祈願すると共に 再度かかる悲惨な犠牲の絶無を強く世に訴えるためこの碑を建立するものである」

音別の国道38号区間で、昭和35年から約20年の間に、右記の事故も含めて13件ほどの人身事故が発生しました。このため音別町交通安全協会は昭和56年、同所に「交通事故犠牲者供養の塔」を建立。

その隣に、お地蔵さんがまつられています。バイクに乗っていた高校生が、自動車と衝突して死亡。昭和57年、供養のため右手に錫杖、左手に宝珠の丸彫り像が建立されました。

白糠町交通安全協会が国道38号沿いに建立した「交通事故死者供養之塔」です。

阿寒や弟子屈の国道沿いに、昭和3年、四国八十八カ所霊場から移霊した石仏がおたちです。

特に弟子屈町内には58体が安置されていて、「摩周遍路観音路」と呼ばれています。日本一のカルデラ湖である屈斜路湖の南西岸を通る国道243号や、まりも国道と呼ばれる国道240号沿いで、その石仏の一部をお参りしました。

厚岸町

道道14号厚岸標茶線の大田地区にある報国寺前で、「しあわせ地蔵」と刻まれた福々しいお地蔵さんを拝しました。昭和55年の建立。

厚岸町交通安全協会が、昭和55年に建立した国道44号の「交通安全碑」。

標茶

国道391号シラルトロ湖につながる湿原の直線道路脇に、2本の鉄柱でささえられた赤い屋根のお堂があります。昭和48年建立の、やさしいお顔のお地蔵さんが安置されていました。宝珠を両手で持つ浮彫り像で、宝珠と頭光には淡い青色が残っています。早朝、濃い霧のなかでのお参りだったので、特に記憶に残る一尊になりました。

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浜中

道道123号から霧多布市街地に入る交差点で、ほおかぶり(ほっかむり)をしたお地蔵さんをお参りしました。台石に「交通安全」の刻みがある、高さ50cmほどの浮彫り合掌像です。すぐ前は海、風が強いのでしょう。飛ばされないように透明粘着テープで、ほっかむり全体を固定していました。