札幌市西区福井7丁目の手稲左股通で、2体のお地蔵さんが交通安全を見守っています。
右側の大きな像が開拓記念地蔵尊。
左側にたつやや小さな像は家内安全地蔵尊。
お堂の右側にたつ石碑に「開拓記念地蔵尊 家内安全地蔵尊」と刻まれていました。
その背面には、
「明治三十三年 福井地区 開拓記念地蔵尊として祀る 平成五年五月 山崎友彦氏建立」との刻み。
この周辺を開拓した福井県人が明治三十三年に開拓記念地蔵尊を建立したとのことですが、いまおたちの地蔵尊は新しい彫りのようです。
この地蔵尊は山崎氏が平成五年に改めて建立した尊像なのでしょうか。明治に建立された尊像は?
お堂のうしろに大きな松があります。その前にたつ白い木柱に、「福井開拓記念地蔵尊明治三十二年この地に祀る 老松 大正天皇御即位記念 二年植樹」と記されていました。
地蔵尊の建立年は、
さきの石碑では明治三十三年、
この木柱では明治三十二年。
一年のずれがあります。どちらが正しいのでしょうか?
図書館やネットで調べた限りでは、回答は得られませんでした。尊像と建立年について情報が得られたら改めて報告します。
ところでネットで調べているとき、朝日新聞デジタル記事(2021年6月30日)に、ホッとする話題が載っていました。
「札幌山の手高校の野球部員たちの毎日のルーティンは、このお地蔵様へのお参り」という記事です。
この毎日のお参りは、先輩から後輩へ10年ほど脈々と受け継がれてきた習慣だそうです。
先輩から、「土地が開拓されていなかったら、今こうして練習することはできないんだから。開拓した人たちに感謝するんだ」と教わってきたとのこと。カンバレ!野球部!
木柱の右前方に昭和13年建立の馬頭観音碑があり、「馬牛 観音」と刻まれていました。
帰路、福井4丁目にある葬儀屋さんの駐車場で、3体のお地蔵さんが手稲左股通の交通安全を見守っていました。