南側の福井地区から見た五天山(標高303m)。手前は五天山公園です。
昭和28年頃から平成2年まで、この山からの採石が行われ、3分の1ほどが削られました。平成13年から五天山公園の整備が始まり、山肌は植樹によって修復が進んでいます(『わたしたちのまち「西区」』 西区役所 2003年)。
この山の裏(北側の平和地区)に、五天山神社跡があります。『札幌の碑』(北海道新聞社)に、「約30体の地蔵尊が五天山入口にある」との記述があったので行ってきました。
札幌西陵高校のグラウンドを右に見ながら少し登ると「五天山入口」の石柱。ここから右折して落ち葉を踏みしめながら進むと、ほどなく五天山神社。建物の入り口はすべて塞がれていました。
鳥居の左側には、多くの馬頭さん。
この神社の始まりは、昭和10年、開拓者で農業を営む井上弥一郎さんの夢枕に、大国主大神がたったことでした。土地の人々と相談の上、山頂に祠を設け、山名は仏典から引用したとのことです(『わたしたちのまち「西区」』 )。
神社は閉鎖されていましたが、お世話をされている方がおられるようで、石仏には新しいお花が供えられていました。
でも、「約30体の地蔵尊」は見当たりません。
それらしきものは、坊主頭のこの尊像1体。でも、この石像はお大師さん(弘法大師)のようです。
観音像も太師像も、石仏はみんなひと纏めにして、お地蔵さんと呼ぶことがあります。
それにしても、このお太師さんは柔和なお顔でした。
山頂まで行くと、今も小さな祠(五天山神社奥之院)があるそうですが、これらの「お地蔵さん」をお参りを終えてすぐ帰路につきました。
なお、坂を下った入口付近で「進入禁止」の立て札を見つけました。ご注意ください。