· 

藻南公園のお地蔵さん

札幌市南区にある藻南公園を訪ねました。

 

じょうてつのバス停「藻南公園前」で降りると、近くに総合案内板がたっていましたが、目指すお地蔵さんの位置は印されていません。

 

そのとなりの交番でたずねてみましたが、公園管理事務所で聞いてみてくださいとのこと。

上の写真のように、お地蔵さんは事務所の裏手にある自由広場の脇にお立ちでした。

 

札幌市南区のホームページに、「宝性地蔵尊」と紹介されているお地蔵さんです。

 

以前からお参りしたかったお地蔵さんです。

 

というのは、この地蔵尊は、交通安全地蔵さんの元祖とも言うべき桑園延命地蔵尊を刻んだ阿部独海氏の作なのです。(https://soenjizo.kasajizo.com/index.html

 

『さっぽろ歴史散歩』(山崎長吉、北海道出版企画センター、1995)は、次のように記しています。

 

「川の崖上に宝性地蔵尊があるが、これにからんで終戦後、札幌から遊びにきていた三人の子供が一度に水死する事件があった。それは豊平川の急にくる増水のせいである。これまで何度となく水死のあることを悼んで法流寺仏教婦人会が中心になって地蔵尊を建立した。そこには塔もあり寄進者の氏名が刻まれている。その中には阿部独海、本名彦衛門の名がある」と。

 

地蔵尊の台石の裏に、「昭和二十五年十月吉日建立 阿部独海彫刻」と刻まれていました。

 

『さっぽろ藻岩郷土史 八垂別』(1982年)は、「名石工阿部彦衛門氏のこと。氏は硬石山に住み、名石工としてその名は今に残されている。(中略)この宝生地蔵尊を刻む折、一週間の行をしてから刻んだといわれている」と記しています。

 

半眼に刻み、大玉の数珠を手にする彫りは、桑園延命地蔵尊と共通しています。

宝生地蔵尊の前に安置されていた小さなお地蔵さんには、「昭和三十年一月二十二日亡 七才 幡司正寛」との彫りが残されていました。

地蔵尊の左側は豊平川。

「放流中」との掲示板が点灯していましたが、炊事広場の下の川岸では数人の子供たちが遊んでいました。

 

今後、再び地蔵尊の建立がないことを祈って、藻南公園をあとにしました。