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本龍寺のお地蔵さん

札幌市営地下鉄東豊線の「環状通東」駅で下車して4番出口を出ると、そこは環状通と東15丁目屯田通の交差点。

遠目に、「日蓮宗 妙見山本龍寺」と記した標柱を見ることができます。

標柱からブロック塀に沿って東へ20mほど進んだところに建つ「札幌村創建百年碑」。

筆は、元札幌市長の原田與作氏。

その左横に、「さっぽろ・ふるさと文化百選」に選定された「本龍寺の妙見堂」を語るプレートがあり、下記のような説明がありました。

 

「慶応2年(1866年)御手作場(後の札幌村)を開墾した大友亀太郎が開拓民とともに、同4年(1868年)に創建したものである。堂内には、後に眼病を患った亀太郎に開拓使判官 島義勇が、快癒を祈願して贈ったという妙見菩薩像が安置されている。また、亀太郎直筆の掛軸や彼の妻が寄進した鰐口などの遺品が残されている。」

 

右側はプレートの下にあった妙見菩薩像と大友亀太郎の写真。

 なお、妙見堂はお寺の境内にあって、この場所からは直線距離で70mほど離れています。

ブロック塀に沿って進むと鐘楼門。その右側に「札幌最古の霊場」と刻まれた碑がたっていました。

 

本龍寺は安政年間(1854 – 1859年)に開山された札幌最古の寺院で、門の奥に見えているのが妙見堂です。

左の写真は東向きにある山門の全景。右手後方に見えているのが妙見堂。

山門の左側に、「島判官守護神 札幌妙見尊霊場」と「開拓信仰 幕吏大友翁史蹟」の碑がたち、その間に下記の説明が記されていました。

 

 

「札幌の妙見さま由来

 当山の妙見堂に奉安する妙見大菩薩の尊像は、右手に剣を持つ高さ約二寸の小さな木造で、「札幌きりひらき」の二恩人と仰がれる開拓幕吏大友亀太郎翁と初代開拓使島義勇判官が「札幌創建の心願成就」を祈願した尊い開拓開運の守護神であります。

 慶応三(一八六七)年、創成川大友堀を開創し、札幌村開拓の首導者となれる幕吏大友亀太郎翁が、開拓の激務・心労のため、病魔に倒れるも、島判官の兜の八幡座に安置されていたこの妙見大菩薩を信仰し、眼病はもとより、病気平癒し、身体健全・開拓成就・所願成弁の利益を賜りました。

 よって、慶応四年(一八六八)年、島判官をはじめ、多くの開拓民が、心を合わせて、妙見堂を建立し、この尊像を奉祭しました。

 爾来、春風秋雨、すでに一百数十余年、札幌最古の霊場史蹟として世に知られ、「札幌うぶすながみ」の信仰がよせられて、多くの祈願する人々をして、必ず心願を成就せしめ、霊験は愈々あらたかであります。

 八月一日二日の例大祭には、開拓者の慰霊供養、札幌住民の家内安全を祈願し、奉賛会による、すもう、みこし、もちまき、演芸・福引などで、にぎわい、夏の風物詩をおりなしています。

(中略)妙見尊奉賛会」

山門と通用門の近くに、馬頭観音、島義勇らの銅像、仁王像などが祀られています。

 

通用門から境内に入ると妙見堂。

 

慶応4年(1868年)、大友亀太郎らがこの妙見堂を建立し、明治14年に寺号公称。現在の妙見堂は昭和57年の建立。

妙見堂の裏の墓地を通ってたどり着いたのが、札幌村創建百年碑の裏手。

 

碑の裏に、

 「慶応二年 大友亀太郎 幕府の命を受け 農夫十数名を伴い この地に来り 未開の原野に開拓の鍬をふるう 爾来幾星霜 今日の隆昌をみるに至る 今茲に住民一同 先駆者の偉業を偲び 創建百年を記念してこの碑を建立する」との刻みがありました。

 

昭和41(1966)年10月に、札幌村創建百年記念協賛会が建立した碑です。

碑の脇にたつお地蔵さんです。

 

お墓のところどころに小さなお地蔵さんを見かけましたが、大きな尊像はこの1体のみ。

 

背面に「札幌北九東一ノ二 岩崎鶴吉謹刻」とだけ刻まれていました。

 

どのような理由で、建立されたお地蔵さんなのでしょうか。