観音山公園の入り口近くの国道336号沿いに、「西町地蔵尊」がまつられています。
合掌する丸彫りの座像で、口元の紅が特に目立ちます。
『新様似町史』に、「浦河日本赤十字病院で危うく一命を取りとめた江上潮耀(法耀寺住職)が社会復帰後、頻発する交通事故に胸を痛め、交通事故を無くすための営みとして、「交通安全地蔵尊」の建立を念願し、当時、様似町交通安全協会長であった西村恭太郎および遠藤清治(石材店)の協力を得て浄財を募って建立した」と、本像の由来が記されていました。
観音山公園に登ると、推定樹齢400年以上といわれる御神木があります。幹周り449cm、道内で3番目に太いカシワの木です。その根元に安置されていた観音さまをお参りしました。
国道336号脇で「交通安全 守護地蔵尊」を拝しました。胸前で宝珠を両手でささえる細身の浮彫り像です。
昭和52年の建立ですが、かなり磨滅していて目鼻立ちが判然としません。すぐ前は海、浜風が強いためでしょう。でも、にこやかにほほ笑んでいるようにも見える仏さまです。
町史に、「幌満地区の交通安全祈願と供養のため、昭和五十三年に観音さまが建立された」とあり、訪ねましたが撤去されていました。
地区の方のご承諾を得て、国道336号脇にたつ集会所のような地蔵堂で、「海難交通事故地蔵尊」をお参りしました。二体のお地蔵さんがお揃いの法衣姿でまつられていました。
『えりも町ふるさと再発見シリーズ2』に、
「大正十年頃、大謀網(定置網)漁の際、突然ひかたの風(南西の風)に変わり、時化となり、手漕ぎの船が遭難し十三名が命を失い、わずか二名が救助された。その遭難者の供養地蔵。碑文「昭和二十二年五月建立」の地蔵とともに、不慮の事故で亡くなった地域の四十数名が供養され、地域住民によって奉られている」と記されていました。
大小二体の地蔵尊はお揃いの法衣姿。大きな地蔵尊が大正12年建立の「海難交通事故地蔵尊」で、書き込まれた目はにこやかに笑っていました。
昭和56年1月のこと。猛吹雪で14台の車が立ち往生し、車に閉じこめられた4名が一酸化炭素中毒で亡くなる事故が起きました。
切り通しの丘の上にたつお堂の銘に、亡くなった方のお名前が刻まれています。
お地蔵さんは錫杖・宝珠を持つ丸彫り像で、ふっくらほっぺたの幼児のようなお姿です。
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