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丘珠墓地のお地蔵さん

 

札幌市東区にある市営丘珠墓地。ここは明治の初めころから自然発生的に墓域になっていましたが、正式に墓地としての許可を受けたのは昭和10年のこと。

 

苗穂・丘珠通り(道道273号)の丘珠伏古橋から見た墓地の西端。中央に赤い屋根のお堂が見えます。

お堂の前に立つ看板の記は、

 「丘珠開拓延命地蔵尊 丘珠平和祈念地蔵尊 安置堂 平成十二年八月移設再建 丘珠地蔵尊保存会」。

以下、『丘珠百二十年史』(1991年)と『丘珠百三十年小史』(2001年)を参考にして、このお地蔵さんの由来を記しました。

 

明治中期、富山県から移住してきた浅野嘉右ェ門さんは、墓地の向かいに住んで農業・商業・豆腐屋を営んでいました。このころ随所にあった土盛り墓の無縁仏を供養するため、高さ30cmほどのお地蔵さんを木の空洞に安置。しかし、そのお地蔵さんはある日、姿を消してしまったそうです。

 

その後丸太でつくったお堂に、二代目として像高63cmのお地蔵さん(左写真、中央の像)を祀りました。でも、嵐でお堂が倒壊して、尊像の首が落下。

三代目のお地蔵さんは高さ1.05m(右端の像)。明治の末に建立され、町内の有志が石造りのお堂に安置しました。

 

昭和42(1967)年、付近の道路工事にともなう地均しで、お堂が穴底に入るような位置になったため、地域住民の寄金で地蔵堂を移転再建。

 

昭和61(1986)年、道路拡幅工事のためお堂を南側へ約5m移転しなければならなくなりました。この折、二代目のお地蔵さんの首を補強して三代目と共に祀り、移転供養とお堂の新築披露が行ったそうです。

 

平成7(1995)年、戦没者慰霊法要がいとなまれ、その寄金で丘珠平和祈念地蔵尊(左端の像)が献納されました。地蔵尊の後背に、階級を記した19名の兵隊さんと寄贈者のお名前が記されています。

 

平成12(2000)年、丘珠伏古橋の改良工事でお堂の前のスペースが消失しためお堂を移設新築。

 

お堂の左右が50cmほど広がり、三体のお地蔵さんは窮屈な思いから解放されて、今はこの墓地に眠る幾多の霊の守護にあたっています。